横濱水天宮由来記

御祭神

天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

安徳天皇(あんとくてんのう)

建礼門院(けんれいもんいん)

二位尼(にいのあま)

この横浜が吉田新田開発のころ、度々水害に悩まされたため、貞亨年間に筑後国久留米(現、福岡県久留米市)より現在の横浜長者町あたりに水天宮の御分霊を勧請奉斎し、水害の守護神として尊崇されていました。

 その後明治の初めごろ、河野与七がこの地を開拓するさいに旧体を発見し、社殿を建立して再興、安産・子育ての守護神として広く関東一円より人々の信仰を集めてきました。

 昭和20年5月29日第2次世界大戦の戦火で、社殿・社務所・末社等が全焼し、米進駐軍により境内も接収されてしまったため、南区西仲町の河野与七の子孫の屋敷に、仮社殿を建築し奉斎されていました。
 平成10年、土地の氏神「旧太田村総鎮守杉山神社」に合祀され、
水天宮として新たに奉斎される事となりました。



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